大場智満 元大蔵省財務官 「戦後70年 語る・問う」(31)プラザ合意から30年 2015.9.14
Tomomitsu Oba, Former vice finance minister for international affairs
プラザ合意(1985年9月22日)に財務官として携わった大場智満氏が、当時の経験や国際通貨・金融制度のあり方などについて話し、記者の質問に答えた。
司会 福本容子 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/09/r00031681/
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年10月号に掲載)
「プラザ合意」はバブルの原因にあらず
大場智満さんはサービス精神旺盛である。日本経済を大きく変えた「プラザ合意」(1985年9月22日)の政策決定過程が裏舞台を含めて詳細に明るみになっているのは、財務官として米国などとガチンコ交渉した大場さんの「功績」だ。それからちょうど30年目の会見。86歳を迎えた大場さんは冒頭「『プラザ合意』はバブルの原因という人が多いが、そうではない」と強く反論した。
当時レーガン(米大統領)は「強いアメリカ、強いドル」を掲げた。米国の膨大な財政赤字・貿易赤字、ドル高を背景に日米経済摩擦は最悪だった。景色を変えたのは85年1月、財務長官が市場主義派のリーガンから為替介入派のベーカーに交代したことがきっかけとなった。
筆者は質疑で「結局、ベーカーの一人舞台だったのか」と聞いた。肯定しつつ「ダーマン(財務次官)を連れてきた」。主役と影の演出者の関係だ。一週間前に最終声明を書いた。ベーカーはレーガンに案を持っていくと「ドルの切り下げではだめ。他通貨の切り上げとせよ」と言った。「プラザ劇場」から面白い話が出てくるのは大場さんのおかげである。ところで氏得意の「首脳のジョーク話」を紙幅の関係で紹介できないのは残念だ。
毎日新聞特別顧問
玉置 和宏